
第一話
それはまるで自分という存在と、
世界との境界線がないような感覚がある。
谷口 弦 | 和紙アーティスト
1990年佐賀県生まれ、関西大学社会学部心理学科卒業。
服飾業界での勤務を経て、江戸時代より300年以上続く和紙工房、名尾手すき和紙の七代目として家業を継ぎ伝統を守る傍ら、作家として作品の制作を行う。佐賀を拠点に活動し、KMNR™としての活動を経て、国内外各地で個展を開催し、グループ展にも参加している。
和紙には意図や作為がなく、この世界の現象をありのまま受け入れると考え、自然体で柔軟な和紙が持つ “無形の美”をいかに表現していくかをテーマに掲げながら、様々な技法や素材を手漉き和紙の技術と掛け合わせ、和紙を用いたプロダクトの開発や、先鋭的な立体、平面作品を手がけている。
和紙は未完だからこそ美しい。
少なくとも僕はそう思っている。
そもそも和紙には意思がない。くしゃっと握ればシワになり、コーヒーをこぼせば染みがつく。風が吹けば揺らぐ。この世界で起きているさまざまなことによって形を変える。それはまるで自分という存在と、世界との境界線がないような感覚がある。

そして和紙は時間を超える。縄文時代の貝殻を砕いて和紙に漉き込み障子に張れば、そこから漏れるのは、8000年前の光とも言える。

和紙は何もないことを何もない、とたらしめる役割を持っていて、それは障子の余白よろしく、何もないわけではなく、そこにはちゃんと存在がある。
形を変えながら光を通したり、メッセージを伝えたりする和紙はこんなふうに、いろんな世界やいろんな時代、いろんなジャンルのものと接続することができる。点を線にする情報も集まってくる。和紙は、そういう可能性を秘めている。

だから僕は和紙が好きだ。

佐賀県佐賀市大和町。ぐるりと山に囲まれたこの地に「名尾和紙」はある。
僕たちの先祖は農民で、約330年前に福岡の筑後地方へ自ら出向いて和紙づくりの修行をし、技術を持ち帰って広めた。なので原料栽培から紙漉き、販売まで、すべてを自分たちでやる必要があった。
和紙産地の多くは、藩や幕府が管理したり、問屋が分業制を敷いたりするパターンが一般的なので、始まりとしてはとても珍しい。

原料は「カジノキ」。「コウゾ」とも呼ばれるが、厳密には品種が混ざるとコウゾになるので、境目は限りなく曖昧だ。強くて育てやすく、毎年2月に根元から刈り取るが、株だけは残しておくと5月には新芽が出て、秋頃には2〜3メートルくらいに伸びる。
山から栄養が降りてくるので肥料もいらず、台風が来れば枝が折れ、目かき(剪定)のようなことが行われる。ほぼ自然まかせで育つ。
これらの株は300年前の初代が植えたもので、おじいちゃんも、ひいおじいちゃんも、みんなこの株から原料を採ってきた。そして今は僕たちが採っている。
現代では、この畑を再現することは難しい。なのである意味、僕たちの一番大事な場所でもある。
言い換えると、ここにあるカジノキをずっと使い続けることが、名尾和紙が名尾和紙であることの理由とも言えるのかもしれない。


