
第一話
限られた情報から無理やりインプットし、
ひたすら妄想を膨らませた。
米永 至 | 株式会社neuthings 代表
大阪のアパレルメーカー、株式会社neuthings代表兼デザイナー。 自社ブランド「NO CONTROL AIR」「FIRMUM」「DDUD」を展開し、大阪・京都・東京にて直営店「YEANAY」を運営。バイヤーとして「YEANAY」の古物やプロダクト類の買付けも担当している。
今でこそファッションの世界にいるけれど、創作の原点は、そもそも別のところにある。
父は建築関係の仕事をしていて、親戚もみな建築業に携わっていたからか、小さい頃から何かを作ることに興味があり、絵もたくさん描いていた。
とはいえ、熱中したのは普通の小学生が描くようなのびのびとした絵ではなく、たとえば当時流行っていたミニ四駆、しかも車ではなくサーキットの絵だった。
世界じゅうのサーキットが載っている本を読みながら、どういう地形の場所にあるのかを研究したり、さらにヨーロッパのバイクレースを取材して書いてた本を何度もめくっては「ドイツのホッケンハイムはどうやら森の中にあるらしい」「ベルギーのスパ・フランコルシャンには、オー・ルージュという壁みたいな坂があるらしい」という文字情報から読み解いては、そこに広がる情景に思いをめぐらせたりした。
またホンダが日本メーカーとして初めて活躍した「モーターサイクル・ワールドグランプリ」でかつて、大きなトラックでヨーロッパじゅうのサーキットを国境を越えて転戦する「コンチネンタルサーカス」というレース形式があったと知り、胸を熱くした。

その流れで、小説もよく読んでいた。本は親に買ってもらってはいたけれど、それも一瞬で読んでしまうので、父親の持っていた西村京太郎や、学校の図書室にある江戸川乱歩なども貪り読んだ。
当時限られた情報から無理やりインプットし、ひたすら妄想を膨らませる。
そんな、ちょっと変わった小学生だった。

中学時代はマウンテンバイクに明け暮れた。ただ文化として好きなのは、マウンテンバイクのアメリカよりも、ヨーロッパ。霧の立ち込めた鬱蒼とした森を走るようなロードレースの世界観に惹かれた。
そこで高校では、自転車競技部に入部した。部員はわずか15名だったが、先輩の中には競輪選手の息子もいて、そのうち3人がインターハイチャンピオン。そこで「才能というものは生まれ持ったものでなければ太刀打ちできない」という現実を思い知らされた。
自分たちの練習量は全国的に見ても非常に多く、レベルも高かった。しかし、才能のある部員たちはほとんど練習をしないにもかかわらず、大会に出れば自分たちより速い。心肺機能や血流の良さなど、身体のつくりそのものが違う。もはや努力でどうにかなるレベルではない。
そう直面したとき、自分は少しでも得意なことや、素質があることを大事にしようと決めた。


