
第二話
「知っていること」は
必ずしも力にならないのだと知った。
当時からファッションも同時に好きだった。部活が終わるとそのまま自転車で京都の河原町へ向かい、「コム・デ・ギャルソン」や「アニエスベー」などのショップをめぐった。
高校生なのでもちろん高い服は買えず、きれいな店員さんに見惚れながらも、3〜4回に1回、Tシャツを一枚買うのが精一杯だった。

活動範囲は河原町から梅田、さらには神戸へと広がった。とくに旧居留地にあるアニエスベーは聖地のような趣があり、そのかっこよさに衝撃を受けた。
さらなる衝撃は、そこでフランス人のアーティストの展示を目にした時だった。「取扱注意」という漢字のシールが大胆に貼られたコラージュ作品を見つけ「これが面白いのか」という気づきから、現代美術やアーティスト、建築家についても独学で調べ始めるようになった。
ファッション、自転車、バイク、F1、そしてアート。とにかくあらゆる興味が並行して走り、多忙な日々を送った。
ただ共通していたのは、常に「かっこいいもの」「きれいなもの」「かわいいもの」を求めていたこと。例えばバイクレースにしても興味はグラフィックやロゴにあり、バウハウス的なデザインに強く惹かれた。ステッカーの配置を比較したり、それをトレースして絵に描いたりすることに熱中していた。

やがて、京都精華大学の建築学科に入学した。当時の自分は知識を詰め込んだ「頭でっかち」な状態で、1年生ながら名だたる建築家の名をほとんど把握していた。
ただ、最初の講評会で大きな挫折を味わった。45人中数名が選ばれる優秀作品の中に、自分の名がなかったのだ。
講評が終わった後、講師はこう言った。「他にも良い作品はあったが、1年生らしくないのであえて外した」と。その言葉を聞き、僕は「知っていること」は必ずしも力にならないのだと知った。

知識がプラスに働くこともあれば、マイナスに作用することもある。単に知識をなぞるだけでは、関西弁で言うところの「おもんない」ものに見える。
「知っている」だけではなく、対象を「おもろいか、おもろくないか」という視点を持ち込む。ひとつの事象を、反対側から見たり、ひっくり返して考えたりする。
自分なりのユニークさやオリジナリティを模索する気づきは、後の大きな転換点となった。


