LOVE SOME STORY

第三話

わたしが言葉について考えてきたのは、
自分や社会を理解するためだったのかもしれない。

歌人の中にも仕事をバリバリやって、コミュニケーション力がある人はもちろんいる。でもそうじゃない人も、けっこう多い気がする。

わたしもまた、しゃべることはあんまり得意ではなかった。

大学生の時も、飲み会とかでも話すのが苦手だった。ただやっぱりしゃべるのが上手な人が力を持つ時期なので、どこかで葛藤を抱えていた。

就活の現場でも、まわりの学生たちがハキハキと話しているのを聞きながら「嘘じゃん」と思っていた。そして一社受けたきり、やる気がなくなってしまった。

そんなとき、短歌に出会った。

ハマった理由のはじまりは、その短さだった。たった31文字に何時間、何日かけてもいい。歌を作ると、自分の思っていることがどんな長文よりも言い表せている気がした。

それが楽しくて夢中になり、日記みたいに、毎日一首、SNSに載せた。

最初こそ「言いたいことを言い表せて楽しい」という単純な感覚だった。でも1年足らずでその時期は終わり、別のことが気になりはじめた。それを今の自分の言葉で表すなら「ちゃんと作品になっているか」。

つまり、「自分が考えていることを示す道具」としての短歌から、自分がもっと真剣におもしろがれるものを作りたくなった。そのためには感情だけじゃなく、人生の問題意識が入っている必要があると思った。

ところで、最近思っていることがある。私が短歌を好きな理由のひとつに、自分の“ボディ”を差し出さなくていいところがある。

たとえばエッセイは「私」というボディが、小説は「主人公」というボディが必要で、どういう人格なのかを読者に理解してもらうための点を打ち、線をつなげていかないと、話が通じにくいところがある。

それに比べて短歌は、ボディを差し出さなくてもすむ。それが自分の中で、すごく大きいことだと気づいたのだ。

わたしはおそらく人よりも、言葉について考えてきた。ただそれは、言葉そのものというより、自分自身や社会を理解するためだったのかもしれない。

社会にすでにある言語や物語ではどうしても理解しきれなかったことを、自分で自分の言語を獲得していくなかで、だんだんと受け止められるようになった。

当然楽しいだけではないけれど、今でも短歌が一番楽しい。

PROFILE

伊藤 紺 | 歌人

1993年生まれ。歌集に『気がする朝』(ナナロク社)、『肌に流れる透明な気持ち』、『満ちる腕』(ともに短歌研究社)。“リレー”のように交互に作品を制作する、デザイナー・脇田あすかとの展示作品「Relay」、土地を歩き、土地に短歌を書き下ろした「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2024」への出展のほか、ファッションビルとのコラボレーションなど活躍の場を広げる。

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