
第一話
いろんなものが好きで、
好きなあまり距離が近くなっていく。
SHOKKI | ハンドメイドセラミックレーベル
2013年にスタートしたハンドメイドのセラミックレーベル。「ま、いっか。」くらいの気楽さと自由さで、食器や花瓶、オブジェなど、1点もののプロダクトの企画と製造をします。
たぶん、好きになりすぎるんだと思う。
祖父が花屋で勤務しながらポスターやPOPを作る、今でいうデザインのような仕事をしていたことがあり、もとはデザイナーに憧れていた。ただ高校の担任の先生に「君は100%デザイナーには向いてない。絶対に美術をやったほうがいい」と断言された。どうしてそこまでと思ったけれど、まぁいったん言うことを聞こうと、予備校に通って一からファインアートの勉強をし、運良く東京の芸大に入ることができた。

専攻は彫刻科だった。ずっと彫って彫って、同じ作業がグラデーションのように続いた。それはもはや表現というよりも、労働に近いように感じた。
また僕の手のクセ、指のクセでどうしても凹凸の跡がついてしまい、人体塑像をつくると皮膚がデコボコして見える。意識しても直らず、むしろこっちのほうが落ち着く仕上げではあった。
自分には彫刻は向いていない、ちょっと難しいメディアだなと感じて、まったく別の表現、例えば写真や映像などの作品も同時につくっていた。
ただどんな表現方法であれ、自分なりの一貫したテーマがあればいいのだろうけれど、当時はそれもあまり見えてなかった。
海外のなんとかっていう作家がいい!となったらすぐハマり、影響を受ける。また美術だけじゃなく、いろんなサブカルチャーもよく見た。SNSをふくめ、いろいろなところからヒントをもらっていた。流行ってるものは、とくにおもしろかった。
それもあって、講評ではしょっちゅう「自分のオリジナルはどこにあるの?」というようなことを言われた。痛いところを突かれた気分だった。
ただ自分としては、とにかくいろんなものが好きで、好きなあまり距離がどんどんどんどん近くなっていく。なので作り手としてそれらとどう関わり、自分のオリジナリティをどうやって作るのかがわからなくなっていた。
そんななか、僕は陶芸を始めた。

滋賀の信楽に「陶芸の森」という、滞在して制作もできるレジデンス施設があり、そこに1ヶ月間行くことになった。当時僕はまだ大学生で、陶芸にはまったく興味がなく、なんなら目的は彼女に会いに行くための口実だった。でもせっかくお金払って来てるし、ちょっとやってみようかなと思い、手びねりで陶器を作ってみた。
当時は技術はもちろん、そもそもどういうふうに陶芸ができあがるのかさえ、まったく理解していなかった。「粘土を焼いたらこうなるんだ」と、最初は本当に驚いた。技術的にできることも少なく、自分のもともとの手のクセもあり、なんともデコボコとした器ができあがった。
それは今、SHOKKIとしてつくっているものと、ほぼ何も変わっていない。


